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超古代文明はいかにして滅びたのか…世界の歴史・ミステリー、さらにはUMAなどさまざまな謎に迫るブログ。世界の神話や伝説、ロマン溢れる古代の遺跡にまつわる逸話などもご紹介していきます!時空を旅してあなたもHistoryHolic(歴史中毒)になってみませんか?

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ペルセポリス
Category: オリエント   Tags: オリエント  遺跡  歴史  

大王に征服されたペルシアの都


紀元前6世紀、イラン高原に興ったアケメネス朝ペルシアは、ダレイオス1世(在位=紀元前522年~前486年)のもとで、全盛期を迎えた。

ペルセポリスは、建設を始めたダレイオス1世に続き、歴代のペルシア王が事業を継続した結果、完成した都市だ。
455メートル×290メートル、高さ15メートルという巨大な基盤の上に築かれ、宮殿、玉座殿、謁見殿、宝物庫、ハレムなどが配置された。
いたるところにレリーフが施され、それらはいずれも歴代の王が周辺の諸国を統治したことを示すものばかりだった。
「万国の門」
諸国の使者がくぐった「万国の門」


しかし、これほどの都市でありながら、ペルセポリスは首都ではなかった。行政の中心は、約480キロ離れたスーサという都市にあったのだ。

当初、研究者たちは、ペルセポリスこそがアケメネス朝の首都だと考えた。王宮ばかりか壮麗な謁見殿まであるのだから、当然だろう。それなのに、いくら調査しても政治に関する記録が出てこない。
しかも、兵舎こそあるが、市民用の住宅などの遺跡が見当たらない。
これらの事実から、研究者たちはペルセポリスが首都ではなかったと判断せざるを得なかった。

一説によると、王や王族たちは各国の朝貢団が訪れる新年祭のときのみ、ペルセポリスに滞在した。この都市は、あくまで内外に権力を誇示するためにのみ滞在したのだ。

だが、紀元前492年から3回にわたってギリシアと戦ったアケメネス朝は疲弊し、紀元前330年にアレクサンドロス大王に滅ぼされ、ペルセポリスは炎上・崩壊した。
ところで、ペルセポリスには奇妙な謎がある。ペルシアに攻め込むまで、大王はこの都市の存在を知らなかったというのだ。
大王以前に50年にもわたってペルシアと戦ったギリシアにも、ペルシアについての記録は数多いが、ペルセポリスのものはいっさいなかった。

毎年、各国の朝貢団を迎えていた都市の記録が残っていないというのは、どういうことか?
考えられることはひとつ。おそらく歴代の王たちが、強力な箝口令を敷いたのだろう。多くの民衆を使って壮大な都市を完成させ、諸国から使節を呼んで、なおかつその存在が秘密にできたからには、他に考えられない。

さらに、都市の運営にかかわる民衆や、諸外国の使節たちがこの都市を訪れるということは、帰途のない旅だった可能性もある。つまり、口封じのために抹殺されたことも考えられるのだ。


ペルセポリス遺跡
ペルセポリスの遺跡






画像は、Wikipedia - ペルセポリス からお借りしました。



テーマ : 歴史&スピリチュアル・ミステリー    ジャンル : 謎

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Author:Sakai
古代文明や歴史にまつわるミステリーをさまざまな書籍や文献を参考に、ご紹介していきます。ロマン溢れる過去の遺産である、素晴らしき古代文明や歴史のミステリーを一緒に探索しましょう!現代科学を持ってしても不可能なものや建造物。人智を超越した古代文明の謎に迫ります。

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