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超古代文明はいかにして滅びたのか…世界の歴史・ミステリー、さらにはUMAなどさまざまな謎に迫るブログ。世界の神話や伝説、ロマン溢れる古代の遺跡にまつわる逸話などもご紹介していきます!時空を旅してあなたもHistoryHolic(歴史中毒)になってみませんか?

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カルナック神殿
Category: エジプト・アフリカ   Tags: ミステリー  謎  超古代文明  巨大建造物  伝説  エジプト  

多くの王が崇めた古代エジプト最大の神殿


エジプト南部、テーベ(現ルクソール)のナイル川東岸、北方約4キロの地点にあるカルナック神殿は、古代エジプト最大の神殿だ。単一の建造物ではなく、多くの神殿から成る複合体である同神殿は、東西約800メートル×南北約1500メートルの神域にある。
ここに中王国第12王朝のセンウセレト1世(在位=紀元前1917~前1872年ごろ)からプトレマイオス8世(在位=紀元前170~前116年ごろ)に至る歴代の王が拡張、修復を繰り返しつつ、神殿、塔門、彫像などを建てたのだ。
神域は3分され、最大のスペースをとり、かつ中央にあるのが、アメン神に捧げられた神殿群。
これはカルナック神殿群の中でも最大だ。主神殿の参道には40頭ものスフィンクスが並び、壮麗な第1塔門は未完成とはいえ、幅113メートル、奥行15メートルの規模を誇る。なお、アメン神殿群の塔門は全部で10ある。

第1塔門の背後には第2塔門、そして有名な大列柱室がある。102メートル×53メートルの長方形のこの大列柱室は、実に134本もの大列柱室で屋根を支えていた。中央部の12本の柱は特に大きく、高さは23メートル、周囲は10.6メートルに達する。
大列柱室を建設したのは、第19王朝のセティ1世(在位=紀元前1294~前1279年ごろ)とその子、ラムセス2世だ。

カルナック神殿
カルナック神殿

アメン大神殿の境内にはこの主神殿の他に、コンス神殿、オペト神殿、プタハ神殿、ラムセス3世神殿、トトメス3世祝祭殿、アメンヘテプ2せい祝祭殿などといった小神殿も付設している。いずれもトトメス3世(在位=紀元前1479~前1425年ごろ)の年代記、州名表、王名表など価値ある歴史的資料が数多く保存されていることからも、歴史的にきわめて貴重な遺跡なのだ。

神域の北側には、さらにメンチュ神殿群、南側にムート神殿群がある。メンチュは本来、テーベ近郊の都市の地方神で、第11王朝のある王がこの神に捧げたメンチュ神殿の造営を始めたことが、カルナック神殿群の建設につながったという。
また、偉大なる大地母神として敬われたムートは、アメンの妻である。
なお、3つの神殿群はそれぞれ参道によってお互いに行き来が可能で、いずれも運河によってナイル川と結ばれていた。

長きにわたって宗教都市としての地位を保ったテーベはまた、首都であった時期も長く、その間は王の莫大な富がこれらの神殿群に集中したと考えられている。特に新王国時代においてそれが明らかで、ラムセス3世(在位=紀元前1184~前1153年ごろ)の寄進した所領など、カルナック神域の所有する所有の約80パーセントに達したという。


大列柱室
134本もの柱が屋根を支えていた大列柱室




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テーマ : 歴史&スピリチュアル・ミステリー    ジャンル : 謎

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Author:Sakai
古代文明や歴史にまつわるミステリーをさまざまな書籍や文献を参考に、ご紹介していきます。ロマン溢れる過去の遺産である、素晴らしき古代文明や歴史のミステリーを一緒に探索しましょう!現代科学を持ってしても不可能なものや建造物。人智を超越した古代文明の謎に迫ります。

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