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超古代文明はいかにして滅びたのか…世界の歴史・ミステリー、さらにはUMAなどさまざまな謎に迫るブログ。世界の神話や伝説、ロマン溢れる古代の遺跡にまつわる逸話などもご紹介していきます!時空を旅してあなたもHistoryHolic(歴史中毒)になってみませんか?

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三内丸山遺跡
Category: 日本   Tags: 日本  

栽培・交易で縄文時代のイメージを覆した遺跡


従来の歴史学の常識では、文化は日本列島を西から東へと伝わったとされてきた。だから歴史の授業でも、狩猟採集の移動生活が中心の縄文文化は、耕地をもって定住する弥生文化よりも「劣った」文化だ、と教わったはずである。
ところが最近、そんな常識は根底から覆されてきている。その最大のきっかけとなったのが、青森県青森市の三内丸山遺跡の発掘だった。
この場所に遺跡があることは、古くは江戸時代から知られていたという。だが、さほど重要な遺跡とは思われず、長年、放置されたままだった。1992年になって野球場建設のために調査の手が入り、ようやくここが日本最大級の縄文時代の大規模集落跡であることが判明したわけだ。

時期的には、約6000~4000年前の縄文前期~中期と見られるが、かなり長期間にわたってここで定住生活が営まれていたことがわかる。発見された遺物も、竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、大人の墓、子供の墓、盛土、掘立柱建物跡、大型掘立柱建物跡、貯蔵穴、粘土採掘坑、捨て場、道路跡と、きわめて多岐にわたっている。その結果、当時の自然環境や生活ぶりが、具体的にわかるようになったのだ。そしてそれは、従来の縄文という時代に対するわれわれのイメージを、大きく変える結果になったのである。

たとえば、縄文時代といえば、かつてはもっぱら狩猟採集に頼った移動中心の生活だといわれていた。ところが三内丸山遺跡では、ヒョウタンやゴボウ、マメなどの栽培植物が出土。また、DNA分析の結果では、クリを栽培していたことも明らかになっているのだ。さらに、膨大な量の縄文土器、石器、土偶、土・石の装身具、木器、(堀棒、袋状編み物、編布、漆器など)骨角器なども出土しており、彼らの加工技術がかなり高かったことも判明している。

それだけではない。三内丸山遺跡からは、現地に存在しない材料―たとえばヒスイや黒曜石、琥珀なども出土している。これは、彼らが船を使って、北海道や北陸地方など、きわめて広範囲に交流・交易を行っていたという証拠なのである。こうしてざっと見てきただけでも、縄文時代が弥生時代よりも「遅れていた」文化という従来の捉え方が、いかに間違っていたものであったかがわかるだろう。その意味でこの遺跡は、日本考古学史上、もっとも重要な発見のひとつといってもいいのである。

大型竪穴住居
復元した大型竪穴住居


大型掘立柱建物
復元した大型掘立柱建物




画像は、Wikipedia-三内丸山遺跡 からお借りしました。




テーマ : 歴史&スピリチュアル・ミステリー    ジャンル : 謎

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Sakai

Author:Sakai
古代文明や歴史にまつわるミステリーをさまざまな書籍や文献を参考に、ご紹介していきます。ロマン溢れる過去の遺産である、素晴らしき古代文明や歴史のミステリーを一緒に探索しましょう!現代科学を持ってしても不可能なものや建造物。人智を超越した古代文明の謎に迫ります。

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