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超古代文明はいかにして滅びたのか…世界の歴史・ミステリー、さらにはUMAなどさまざまな謎に迫るブログ。世界の神話や伝説、ロマン溢れる古代の遺跡にまつわる逸話などもご紹介していきます!時空を旅してあなたもHistoryHolic(歴史中毒)になってみませんか?

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万里の長城
Category: アジア   Tags: 巨大建造物  アジア  

始皇帝が大増築した超巨大防御壁


山を越え谷をくぐり、延々と続く中国の万里の長城。総延長約2700キロ、重複部分を加えると、6000キロ前後になろうかという、長大な防御用の城壁である。現在、見られる長城の多くは明代に築かれたものだが、その起源は古く、春秋時代の斉(紀元前1122~前379年)に遡る。
万里の長城 明代
万里の長城 明代

同国は蛮族から領土を防衛するために、国境に防壁を築いたのだ。後に多くの国がこれにならった。紀元前2210年に中国を統一した秦の始皇帝は、匈奴(きょうど)の侵入を防ぐため、中国の中にある長城を取り壊し、北に造られていた長城をつなげて、大長城とした。それは甘粛省南部から北へ、黄河の大屈曲部の北を巡って東に延び、東北地方の遼河下流にいたるものだった。ただし、その半分以上が秦以前の王朝時代に造られたもので、始皇帝はそれを利用したようだ。

近年、当時の長城の遺構が、東北地方で発見されている。ちなみに、始皇帝時代の長城は土のみを固めたごく簡単なもので、いわば土塁をつなげたものにすぎず、高さも馬や人が乗り越えられない程度しかなかったらしい。そのため、現在では風化して朽ち果てたものが多い。その後、歴代王朝の皇帝たちは外敵を退けるために、西に、南に、長城を拡張していった。しかし13世紀に入って、長城はついに北からモンゴルの侵入を許し、中国は異民族が建てた王朝・元に席巻された。その後、元は南方から興った中国の明に追放された。そして、元の再来に備えるため、明は長城を強化した。これが現在見られる万里の長城である。

なお、秦以降、明代以前の長城は、柳や葦などを束ねて土と交互に重ねたものや、日乾しレンガなどで造られていたが、明代以降はより強度を高めるため、焼いたレンガなども使うようになった。現在、北京近郊にある八達嶺長城は高さ8.5メートル、幅は底部6.5メートル、頂部5.7メートル。頂部の上には、高さ1.7メートルの連続した凸凹状の垣が続いている約120メートル間隔で「敵台」と呼ばれる砦も設けられている。ところで、万里の長城はその巨大さから「月から見える地球上の唯一の建造物」といわれている。この件について、2004年12月8日、中国科学院は「万里の長城は宇宙空間から肉眼で観測することはできない」と、明確に否定した。しかしその後、ISS(国際宇宙ステーション)に滞在中の宇宙飛行士が、ごく普通のカメラで撮影したところ、長城がはっきりと写っていたという。

万里の長城 
山をものともせず、広大な中国をめぐって、長城は築かれた。





画像は、Wikipedia-万里の長城 からお借りしました。





テーマ : 歴史&スピリチュアル・ミステリー    ジャンル : 謎

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Author:Sakai
古代文明や歴史にまつわるミステリーをさまざまな書籍や文献を参考に、ご紹介していきます。ロマン溢れる過去の遺産である、素晴らしき古代文明や歴史のミステリーを一緒に探索しましょう!現代科学を持ってしても不可能なものや建造物。人智を超越した古代文明の謎に迫ります。

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