歴史・古代文明と世界のミステリーサイトマップ / 歴史・古代文明と世界のミステリーRSS

超古代文明はいかにして滅びたのか…世界の歴史・ミステリー、さらにはUMAなどさまざまな謎に迫るブログ。世界の神話や伝説、ロマン溢れる古代の遺跡にまつわる逸話などもご紹介していきます!時空を旅してあなたもHistoryHolic(歴史中毒)になってみませんか?

スポンサーサイト
Category: スポンサー広告  
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
パレンケ
Category: 南北アメリカ   Tags: 謎  ミステリー  超古代文明  巨大建造物  宗教都市  南北アメリカ  マヤ文明  

ピラミッドから発見された王の遺体


パレンケは、古典期マヤ文明(紀元300~900年ごろ)の代表的な宗教都市遺跡である。主要部の面積だけでも16平方キロ。平野からは60メートルほどの高台に築かれているため、ここからはメキシコ湾に続く原野が一望のもとに見渡せたという。自然の地形と建物の配置は巧みに計算されており、人工的な造形美と自然が見事な調和を見せている遺跡だ。
その中心部を見ると、そこには広場と宮殿、さらに北側には「伯爵の神殿」と5つの小神殿、南西には「碑銘の神殿」が置かれている。「碑銘の神殿」というのは、60段のピラミッド状基壇の上に建てられている高さ約35メートルの建造物で、1949年、この神殿の床から地下へ通じる階段が発見された。階段には土砂がびっしりとつまり、外部の侵入者を拒む作りになっていたが、調査団は3年の歳月をかけて根気よくそれを取り除き、ついに地下の墓室へとたどり着いたのである。そこにはまず、玉や真珠、貝殻、土器などの副葬品とともに、6体の遺体があった。彼らは、王の殉死者だと思われた。

パレンケ
4層のやぐらに特徴があるパレンケの宮殿。
これは、マヤ文明が非常に熱心に行った天体観測に用いられたものだそうだ。

そして1952年6月15日、ついに王の墓室の扉が開かれる。部屋の大きさは高さ6メートル、奥行き9メートル、幅4メートルという広さで、壁には極楽鳥の羽根飾りをつけた9人の司祭の浮き彫り像が飾られていた。そして部屋の中央には、巨大な岩をくり抜いて作った石棺が、手つかずのまま安置されていたのである。ちなみにこの石棺の外蓋に、ロケットを操縦する宇宙飛行士のようなレリーフが刻まれていることは、よく知られているところだ。

石棺の中には、40~50歳と推定される、骨格のがっしりした大男の遺体が横たわっていた。また、遺体の頭部には神像を彫り込んだ円盤が、頭にはヒスイのモザイクの面がつけられ、全身に宝石や首飾り、腕輪、指輪などがちりばめられていたのである。彼は、615年から683年にパレンケを統治した王、パカルではないかと推定されている。ところでこの墓の位置を上のピラミッドと比較してみると、おもしろいことがわかった。まず、墓室がピラミッドの基底部よりもさらに2メートル低い位置にあったこと。そして、王の遺体が収められた石棺と石の蓋は、相当な重量があったということである。このふたつをあわせて考えると、まず墓が最初に作られ、その上にピラミッド神殿が建設されたと考えないかぎり、建築不可能な構造になっていたのだ。つまりピラミッドは、最初から王の墓碑として作られたのである。

ところで、これほどの隆盛を誇ったパレンケは、突如として無人の街と化してしまう。大宗教都市は誰にも気づかれることなく眠り続け、あの征服者コルテスでさえ、まるで気付かなかったのだ。

碑銘の神殿
パカル王の墓が見つかった碑銘の神殿




画像は、ラテンアメリカ博物館 からお借りしました。




テーマ : 歴史&スピリチュアル・ミステリー    ジャンル : 謎

Comments

Leave a Comment

プロフィール

Sakai

Author:Sakai
古代文明や歴史にまつわるミステリーをさまざまな書籍や文献を参考に、ご紹介していきます。ロマン溢れる過去の遺産である、素晴らしき古代文明や歴史のミステリーを一緒に探索しましょう!現代科学を持ってしても不可能なものや建造物。人智を超越した古代文明の謎に迫ります。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。